2012年11月2日金曜日

ゴータマとシッダルタ

"ひっそりと続く古本屋"と聞けば、どこか人通りのない場所にありそうだ。けれども、大勢の行き交う通りに溶け込んだようなその入り口を我々は見落としがちだ。下北沢へ抜ける茶沢通りは、週末になると歩行者天国になり大勢の観光客が訪れる。私がその通りの静かな佇まいの古本屋に気付いたのは、三軒茶屋に暮らして半年を過ぎた頃だった。木を隠すなら森、賢人たるもかくあるべし。

近頃は、良い運動になるので渋谷のオフィスから三軒茶屋まで246号線沿いを徒歩で帰宅している。"1Q84"の冒頭部分の舞台に描かれている辺りである。ここでも、駒沢側の通りを西へ下り池尻を越えたところに古本屋を見付けた。うず高く、天井まで積み上がった本の中で老齢の店主が一人、パソコンラックの前に腰かけて旅行の写真が並ぶブログの画面に向かっていた。岩波書店の見慣れた背表紙が並ぶ一角にヘッセの"シッダルタ"を見付けたのでレジへ持ってゆく。

バラモンの家に生まれたシッダルタは幼い頃より学問に励み、家を捨て沙門(苦行者)と生活を共にし、ゴータマ(お釈迦様がモデル)との邂逅を経て、俗へ下る。俗の垢にまみれたシッダルタは絶望の淵で命を断とうとするが、渡し守のジャスティーヴァとの出会いに救われ、彼と生活を共にし始める。

そして、ここでシッダルータの遍歴における最後の試練が訪れる。

思いもかけずに目の前に現れた息子、彼は自分の生まれ育った世俗に戻るため、父親であるシッダルタの元を去る。シッダルタはジャスティーヴァの力を借りてこの愛執を乗り越え、ついに真理を悟る。ここがすごい。そこまでの派手な遍歴と比べると、愛憎に苦しむシッダルタは平凡であまりにも我々の身近な存在だ。たしなめるジャスティーヴァの言葉も一見退屈な決まり文句と響く。輪廻でも涅槃でもない、シッダルタに最後に課されたのは我々のよく知る問題だったのだ。

こうして覚者となったシッダルタの元を、かつての友ゴヴィンダが訪れる。シッダルタとの出会いによってこの修行僧もまた境地に達するのだが、このシーンは私に三島由紀夫著、豊穣四部作の松枝と本多を思い出させる。このつながりについては、もう少し考えてみたい。


訳者の手塚氏はヘッセから献本を受け、その表紙には原文の一行が署名と共に直筆で記されていたという。"輪廻といい涅槃というも言葉にすぎない、ゴヴィンダよ"


ところで、この作品は"ヘッセのファウスト"と評されているそうな。西洋人の個の崩壊と東洋哲学への憧憬なんたらに興味がないが、このフレーズは中々気に入った。たましいの遍歴を描くという点で、文学史上の双璧を成せる強度を持っているのだろう(ファウストは読んだことないんだけど)。ファウストが"ゲーテの福音書"でシッダルタは"ヘッセの福音書"と言ってもいいんじゃないかなあと思うんだけど、これは流石に受容されないか。

今日は有給休暇を取ってのんびり過ごしたんだけど、天気がよくてよかった。

2012年7月3日火曜日

二枚盛りが290円@小諸そば

天気予報を見ずに自転車で出勤したら、帰りは小雨に見舞われた。
たびたび通り抜ける商店街の外れに、無用なほど戸を開け放った飲み処。
こういう日は、少々蒸し暑いところでも雨音を聞きながら寛ぎたいだろう。

ところで、最近昼ご飯を食べているそば屋(小諸そば@渋谷新南口)で気になることがある。
土地柄か、若いIT事業者から年配の運転手まであらゆる類の人が訪れるそば屋だ。
そこでは皆一様に、お椀に覆いかぶさるようにして蕎麦を食べている。
椀が重いのか?大の大人が蕎麦の茶碗を片手で持てないというはずもなかろう。
米国滞在中は専ら支那人と付き合っていた期間も長いので、どうにもこの習慣には
鼻白んだものだ。が、自分の国でもいつしか当たり前となってしまったのか。

別に時代を嘆こうってんじゃないが、立ち食いそば屋さんって狭いでしょう。
身体を二つに折って腰を突き出してると、邪魔なんじゃないかと思うんだよね。


2012年5月10日木曜日

連休の思い出

芥川賞作家の金原女史は中下巻を3日で読み終えたそうだ。恐らくは連休中、または時間の存分にある学生時代に読んだのだろう。わたしがこのGW中に新幹線の中で読もうと購入した"カラマーゾフの兄弟"中巻は、未だ200ページも読まれていない。それでも一年くらいかけて読もうと始めたので、いささか早すぎるくらいである。

先のGWは実に有意義だった。えーと・・・何をしていたのかはよく思い出せない。そうだ、前半は仕事をしていた気がする。資料作ったり、上京中の漫画家さんと打ち合わせしたりとか。久しぶりに同居人と近所で朝方まで飲んでたような。

後半は間違いなく充実していた。昼間は本読んで(カラマゾフに非ず)昔馴染みの仕事仲間とガッツリ飲んで。しかも飲んだ土地が西国分寺だったのも趣深い。更に翌日は地元の旧友と古い蕎麦屋で飲んだ。皆一線で死力を尽くしている男たちなので、酒の享楽を通じてとても励まされる。齢三十も半ばになると、手に入らないものの多さに愕然としつつ、良き友人が大切な心の支えとなるを知る。

その翌日は早朝から、若い友人夫婦の結婚式のため京都へ向かった。私自身も永らく待ち望んだ、非常におめでたい日だ。他人の幸福を心から祝福できるというのは、じつは未熟な俗人にとっては希少な機会なのだ。酒は嗜まずとも、まず満足。それにしても、京都という土地は何時訪れてもまるで変わることがない。そこで暮らしている以前の友人たちも、何ひとつ変わった様子がないように思う。私がアメリカへ発ったのは6年前。わたしはこの違和感を得るためだけに大陸をさすらったのだろうか。齢三十も半ばになると、苦い感傷を菜根の如く味わうを知る。

さて、そろそろ熟しきった春野菜の天ぷら、これから旬の鮎が旨い。わたしは頭から丸ごと食べる派なので、あまり大振りのものは好まない。


2012年4月9日月曜日

サンフランシスコのホームレス

羽田到着まであと一時間十五分というアナウンスが流れました。サンフランシスコからの帰りの機内でこれを書いています。滞在期間中は昼間外を駆けまわって夜はそれを文書にまとめたり日本の仕事を処理しなければならなかったり、とても忙しかったです。持参したカラマゾフの兄弟も、ベッドで2,3ページ捲らぬ内に睡魔に屈服してしまう毎日。その分帰りの機内では簡単な仕事を済ました後で、コーヒーをお代わりしながらずっと読んでました。

ユニオンスクエアそばのPark55に滞在していたのですが、朝晩には付近をよく散歩しました。有名なケーブルカーの券売所が目の前にあるホテルで、9時も過ぎると観光客が列をなすような所ですが、1ブロック裏に入ると身なりのよくないアフリカ系の人たちが路上に座り込んでいるエリアが広がっています。まさしく失業者が街に溢れかえっている状態で、数年前に訪れた時より遥かに悪くなっていると感じました。無心を乞うホームレスも沢山いました。足を失っている人が多いのですが、帰還兵なのでしょう。アメリカでは心身にひどい傷を受けた退役軍人の失業が、常態化した社会問題となっています。

私もドルを持ち込んだものの使う宛があまりないので、大人しそうなホームレスを選んで1ドルから5ドルくらい与えていました。皆、アメリカの平均的なカフェ店員のような調子でサンキューとお礼を言いました。すごくまともな印象です。言動がクレイジーなホームレスも中にはいましたが、他人に危害を加えるという気配はありません。

彼らは生活の中で他人からリスペクトされる機会がほぼ皆無なのだと思います。失業して路上生活者になった理由は一人ひとり異なるでしょうが、私はこの点が非常に重要だと思います。できればドル札と一緒にリスペクトを相手に伝わる形で表現したかったのですが、これが難しい。あいさつと世間話がせいぜいです。持て余したお釣りのコインを投げつけるだけのアメリカ人旅行者には、ホームレスに対する憐れみはあるのかもしれませんが、リスペクトは決してありません。

人からリスペクトされることがない人間は、他人をリスペクトすることが出来ません。私たちは無意識の内に相手をリスペクトし、また相手からリスペクトを受け取る、そういうソーシャルなネットワークの中で日々を過ごしています。彼らホームレスは、そのネットワークの外にいる。サンフランシスコでの仕事に一区切りがついてからは、ずっとそんな事を考えています。

2012年3月22日木曜日

君は春に雪を見るか

日中目が回るほど忙しいと、中期的に集中力を保つため、どうしても特別な気分転換が必要だ。特別とは云っても自分の場合、一つに食事をすごくよく噛んでゆっくり摂ること、一つに泳いだり走ったり運動をして汗を流すこと、そして読書。ゆったりした気分で小説を味わうことだ。
そういうわけで、日替わり定食を30分かけて味わった後、昭和女子大学そばのブックオフに寄ってみた。いくつか興味のあるタイトルはあったが、たまにはボリュームのあるものを読みたかったのでドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」を選んだ。かねてから読みたいと願っていた作品だ。

ドストエフスキーは非常に好きな作家の一人だ。敢えて一冊挙げるならば、やはり一番最初に読んだ「罪と罰」だ。私の中のイメージ、ラスコーリニコフの魂がソーニャに救われるエピローグは、常に瀕死の清顕を乗せた車に雪の舞う、あの彼岸的な情景に重なる。何だそりゃ一体どんなイメージだと思われた方には、映像で最も近いものは「オネアミスの翼」のラストシーンだと言っておこう。

すっかり更新の間が空いてしまった。
実は休日も近所の喫茶店にこもって、資料を脇に日がな小さなノートパソコンをカタカタやってたりするのだ。しかし、中々人様に読んで貰えるような文章なんて書けない(というよりも、好き勝手に書いたものをまとめるのが難しい)。私の場合、仕事などでも身内からは文章を貶められることが多い。こればかりは、とにかく書かなければ上達しないので、コツコツと自分のペースでやっていこうと思う。

2012年2月16日木曜日

恋愛小説家

ヘッセの”クヌルプ”を読んでいる。わたしはヘッセやドストエフスキーを読むとき、いつも決まって”恋愛”というものについて考える。川端や漱石の作品からは更に深い印象を憶えるが、あれはどうも恋愛ではない気が最近し始めている。


恋愛というものは極めて主体性を伴うものと考えられているので、評論はほとんど無意味だ。何かを語るとすれば物語の力を借りるしかない(ロラン・バルトの語り口が唯一の例外だと思う)。要するに、ここで私の思ふところを述べることはない。


余談。自己を主人公とした物語を紡がない人間の視点は、常に観察者のそれである*。松枝清顕ではなく、本多繁邦だ。豊穣の海のクライマックスで、本多は智慧に至る。やはり私が求めているものも智慧なのではないだろうか。


(* 実のところわたしは非常に女性からモテないので、止むを得なかった面もある。)

2012年2月9日木曜日

クリエーターとして、一番やりたいこと

90年代半ばにコンプティークで連載されていた「エデンズ・ボウイ(天王寺きつね作)」を古本屋で買って読み始めた。あれから20年。今でも当時とまったく同じように心ときめく、素晴らしい漫画だ。

和製ファンタジー&ボーイミーツガールは私たちの世代のひとつの原点だ。まだセカイ系だの萌えだのが無かった頃。今時そんなものを商売で扱うのは無謀だろう。けれどいつかは、本気で大きなものを作ってみたい。まったりと、しかし火のような情熱を持って。クリエーターとしての野心です。自分が出来るのは音関係だけなんだけどね。同じ志の方、一緒にやりましょうよ。

そういえば久しぶりに仕事で曲を作る機会があって、中々楽しかった。そして、自分で作ったものを自分でも気に入った(すごく大事なこと)。でも10年前のように、スタジオのようなところでずっと閉じこもって作業するのはもうご免だ。最近はipadでも使えるなツールが増えてきたようなので、そういうの使って喫茶店や電車の中でちまちま作ってみたい。